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嬉しいプレゼント

実家の佳子さん、畑を始めてから何年になるのだろう。
今ではプロ級の立派な野菜農家、自宅の畑のほかに、仲間と共同で野菜を作り、施設に運んだりお祭りに売り出したりしているようだ。

    新鮮野菜

昨日はわが家にダンボールにいろいろな野菜を詰め込んで運んできた。
どの野菜も新鮮でピカピカ。あまりの見事な野菜たちに歓声をあげてしまった。さてこの野菜たちを一人では食べきれない。先ず娘に来て貰って鑑賞する。
娘は好きなのを選んでもっていった。しかしまだまだ沢山ある、今度は妹に電話を掛ける。

かねてから、妹夫婦の家で夕食をしようと約束をしていたので、佳子さんの野菜をお裾分けしながら、妹宅で夕食をご馳走になることに決定。
たまたま日曜日で好都合、娘の車で野菜をつめた大きな袋を持って送り届けてもらうことになった。

夕方近く、碁会所から帰って来た妹の夫とともに、3人のささやかな酒宴が始った。
佳子さんの野菜のお陰で、ワインやビールを飲みながらの楽しい時間を過ごすことが出来たのは思いがけないことだ。

7時、娘の迎えの車が来るまで、しばらく振りの3人の楽しい時間をすごすことが出来た。
お互いに80歳を越えて、健康で毎日を楽しく過ごしている有り難さ、この年齢だからこそ感慨深く感謝の念が湧いてくる。

ほろ酔い気分で娘の車に乗って帰りました。  
 佳子さん有難うございます、純ちゃん有難う 

73年は夢のよう

 浜茄子の砂浜かけて帰省する敗戦するとはつゆ知らぬ夏

 「敗戦」はプライドゆるさじ「終戦」とふつつましき比喩に依りかかりゐる

 戦中より 戦後 現在 一直線八十余年はかりそめならず


戦争が終わりを遂げたのは、旧制女学校一年生の夏だった。
1学期は授業を受けることなく、お父さんが出征した農家に今では死語となった「援農」に駆り出された。
夏休み、懐かしいわが家へ帰るバスは木炭バスと言って燃料は木炭、石油はすべて戦争のために使われる窮状だった。
バスが坂道にさしかかると、エンジンが、止まってバスが動かなくなる。乗客が皆おりてエンジンがかかるまで後押しをする。
こんなことを何度も繰り返す。わが家まではあと3キロほど、一刻も早く家に帰りたいその一心で海岸の砂浜を走って家に帰ったことが思い出される。
その時の砂浜には、浜茄子の花が何処までも続いていて美しかった。走って走って息が切れそうになりながら走った。

   s-八重のはまなす
                       イメージ

夏休みも終わろうとしていた8月15日、ラジオが「玉音を放送するので皆謹んで聞くように」と云っている。
天皇陛下の玉音放送は、ラジオの雑音に消されて、戦争が終わるのかどうなのか?が分からなかった。
田舎だったので、「戦争が終わったらしい」とはっきりと理解するまでには時間がかかったような記憶が残っている。

テレビもスマートホンも無い73年前、日本の国は貧しい貧しい発展途上国として「無」から復興、現在があるのです。
生まれた時のノモンハン事変に始って支那事変、大東亜戦争まで、子供の時は戦争の時代だった。
愚かな戦争は絶対に起こしてはならないのです。
現在の日本の周辺の危うい状態、国を司る人たち、しっかりと政治を行って下さい。

雨の墓参

8時出発、忘れ物が無いかチェックして車に積みました。天気予報通り雨です。
去年はこれで大丈夫と車を発進、ややしばらく走ってから、ふと気がつくとサンダルを履いたままでした。引き返す事も出来ずサンダル履きのお墓参りでした。
今年はそんなことの無いように念を入れての出発です。

墓参1
このくらいの雨なら何とかなるだろうと走っていくうちに中山峠まで来ました。
向こうが明るんできたように見えます

墓参
到着したころは小雨状態、用意してきた雨具を着てお掃除、お花やお供物、ろうそく、お線香を飾って居るうちに、坊守さんがお見えになりました。
お経を頂きながら、何時もはせみ時雨で賑やかなのに今日は雨のせいか、シーンと山が静まり返っているなーと思った。
どこのお墓も、新しいお花が供えられて美しい。
雨のなか、お参りが済んでから少しの間、坊守さんと懐かしいお話を交わしてお別れする。
お供え物を片付けてフッと写真を撮るのをわすれていた事に気が着いた。
お花だけのお供え物でちょっと淋しい写真だが、東京の娘にラインで送信する。

墓参2
親しくしていたお友達の家を2軒訪問して懐かしさに涙がホロホロ、娘に笑われるがこれも年のせいにしておきましょう。

墓参4
羊蹄山は雲に隠れて裾野が少し見えるだけ、今年は会えずに帰ります。

     墓参5
雨の降る落葉松の林の道は、何となく異界に向かっていくような感覚に襲われます。

墓参6
雨がだんだん強くなってワイパーがせわしく動く、間もなく中山峠にさしかかります。

      墓参7
峠間じかになって雨はますます強く降り出してきた。定山渓を過ぎると雨に降られながらも、お墓参りも無事に終わったなーとホッとした気持ちになる。
札幌に近づくに連れて、雨は次第に小降りになってきた。娘の運転に身を任せて走るうちに、懐かしい川沿の街を通り過ぎ、無事にわが家に到着です。年々身に重く感じてくる墓参も無事に終えることができました。   ありがとう

帰り道

地下鉄駅を出ると陽が円山の陰に傾きかけている。
さて、”今晩の夕食は”と考えると準備をしてこなかったせいか、何時も気になっていたイタリアンのお店が頭に浮かんだ。
そうだ、今日こそあのお店に行ってみよう。
そのお店は何時もバスの中から見ていて、わが家にほどちかい所に在る小さな、でも何となく気になる雰囲気。
バス停を二つ手前で降りる。初めてそれも一人で、、昔の自分では絶対に出来ない冒険、これも齢のなせる業。

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中に入ると、カウンター席と、1段下がってテーブル席があって、テーブル席には男女の賑やかなグループが一組いるだけ。
お店はご夫婦でしているらしく、使用人は居ないようす。
カウンターの前にはワイン、ウイスキー、日本酒など沢山並んでいる。夜にはお酒のお客さんで賑うらしい。
少し離れた席に案内されて「初めてなんですけれどお勧めは?」と尋ねて、ごくシンプルなトマト味の海鮮スパゲティーにする。
前菜は、お皿に自分で好みのものを取るようになっている。ひと通りお皿にとって、席につくとパンとコーヒーが運ばれてきた。

さあ、お客さんも少ないし、ゆっくり出来そうだと思ってバックから読みかけの本を取り出した。
冷たいコーヒーがとても美味しい。
ややしばらくして、スパゲティがはこばれてきた。「お皿が熱いですからお気をつけて」と言われてフォークをとるとなるほど、お皿もスパゲティもアツアツ。早速頂きます・・・・  オットット カメラをわすれていました。

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イタリアン専門のお店は初めてだったので、まあまあ満足でした。
レジで支払いをしてお店を出る時は、店主ご夫妻が揃ってお見送り、こんなに丁寧に扱われると少々背中がこそばゆい感じ。
歩いて家まで、食後の軽いウオーキングになりました。

はまなす短歌会へ

しばらく振りの小雨。

晴雨兼用の傘を挿して出かけよう。昨日から用意はしてあったが、次第に頭も体もてきぱき動かなくなって、11時12分のバスには間に合わない、11時45分のバスに乗る。

s-浜茄子へ
終点4丁目から大通公園を横切って次の中央バスの乗り場へ、小雨の中をふと見上げると、テレビ塔の時計が間もなく12時を指す。
1時30分までには遅刻せずに到着できると、すこし安心して呼吸を整えながら歩く。

バスが到着、クーラーが効いていて快適温度にほっとする。
札幌ドーム近くなると、ファイターズを応援するのぼりが並んでいるが、本拠地が北広島に移った後は淋しくなるだろうなーなどと考えているうちに目的地に到着。
今日の参加者13名の出詠歌に目を通す時間のゆとりはあった。

 今日の心に残る歌

今宵はも地酒一升かたわらにあいつとしみじみ「どんぞこ」ばなし

たった一羽のコガモを連れた母の目に射すくめられて後ずさりする

漫画版「どう生きるか」を立ち読みす音なく過ぐる水無月の風

木洩れ日にゆるる紫陽花黙ふかし空耳ばかりふえるこの国

 自作
浜茄子の砂浜かけて帰省する敗戦するとはつゆ知らぬ夏

敗戦の年は旧女学校の1年、帰省のバスは燃料が木炭、力が無いので坂道を登りきれずバンバンパン・・・・と鳴ってとまってしまう。そんなバスを待ちきれず、砂浜を一目散に家に向かって走った。
今では懐かしい思い出だが、戦争前後の惨めで貧しい暮らしが其処にはあったのです。
広島、長崎、沖縄は言うに及ばず、「終戦の日」を間じかにして、戦争の愚かさを、身近なところから考えさせられている。





プロフィール

Author:piroko
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ブログをはじめたのは平成12年10月。1933年生まれ
デジカメを片手に花を撮って歩くのが趣味でしたが、今では身のまわりの取材でお茶を濁しているつまらない「私日記」

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